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魂のうた、いのちの旅 (徒然編)

魂のうた、いのちの旅 (徒然編)

おとうさん、おかあさん、ありがとう

17歳、高校三年生の5月に母が亡くなった。40歳だった。

直腸ガンだった。

その年の正月に倒れて病院に運ばれ、そのまま入院した。

手術をするということで、その時は潰瘍かなにかそんな病名を言っていたと思う。

4月ごろだったと思うが一時退院もした。

しかし5月にはまた入院し、帰らぬ人となった。

母は亡くなる数年前に自動車事故を起こしていた。

信号待ちの車に後ろから突っ込んだらしいが相手はむち打ちになっていたようである。

その相手のことを気にしていたらしい。

ガンはつらいと思う。

日々痩せる姿。いやな感じはしていた。なんとなく死が近づいているようにも思えていた。

苦しさに顔をゆがめる姿。

母は俺に甘かったと思う。

好きなバンドのレコードが欲しいというとたいがい買ってくれた。

母はオールディーズが好きだった。めちゃくちゃ好きなわけではなかったが、

俺がポールアンカやニールセダカを知っているのは母の影響だ。

母が亡くなってガンだったと聞かされ、いろいろ考えた。

高校2年生のとき、修学旅行で飲酒が見つかり、運悪く見せしめ的に停学になった。

そのことが母の心を傷つけたんじゃないか、そんなことが心労となって

ガンになったんじゃないか、などと考えたりもした。

考えたって悔やんだって母は帰ってこない。

母が死んで20年以上経った今、俺は39歳になっている。

母はこの一年後に死んだわけだ。もし俺の命があと一年だとしたら・・・。

考えられない。やりたいことは山ほどある。子どもを残して死ねない。

母もそう思っていただろう。

父が亡くなったのは母が亡くなった2年後、俺が19歳のときだった。

秋になって父が入院することになった。

それと同時に俺たち兄弟は祖父母のところに引っ越すことになった。

父はそのときに死を覚悟していたのかもしれない。

入院してすぐに俺は長男だったので医師に呼ばれ、父の病状を聞くことになる。

胃ガンだ。助からないといわれた。半年もつかもたないか。

親戚は祖父母や弟達に父のガンのことは言うなと言った。

俺は言わなかった。

定期的に見舞いに行くたびに父は衰弱していった。

痛みもきつそうだった。顔には苦痛にゆがむ時の皺が残るようになった。

それでもたまにやたらと陽気で元気なときがあったが、それはモルヒネのせいだと知った。

半年もつかもたないかと言われていたが入院して3ヶ月で父は亡くなった。

45歳だった。

父は仕事一途だった。

保険会社に勤めて転勤につぐ転勤。

俺は奈良で生まれ、東京、長崎、浜松、札幌、岡崎と、

いろんなところに暮らすことができた。

そのおかげで父はある程度出世していたようだ。

父とはもっといろいろと、男同士として語り合いたかった。

10代後半の俺はやや反抗的だった。まともに話をしていなかった。

父も母も短い生涯を終えた。

もっと長生きして欲しかったと言っても帰ってくることは無い。

誰が悪いわけでもない。ただ、40年と45年の人生を生きた。

父と母からはたくさんの愛情をもらった。

今はよくわかる。

子どもをもって、初めて子どもを思う親の気持ちがわかった。

感謝している。

おとうさん、おかあさん、ありがとう。

(2004.3.21)



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